結婚 お見合いについて
結婚へのチャンス

男女交際

異性を知るための交際

はじめはグループで
男女の交際は、結婚するためにあるのではありません。「よい結婚のための男女交際」といいながら、矛盾があるようですが、もちろん、結婚と関係なく考えなさい、ということではないのです。交際は、うの目たかの目で配偶者を見つけ出すことではなく、互いに異性が知り合うということが、根本の問題だと思います。交際を通じて自分を高め、また相手をも高めて、男女が互いに理解し合い、ゆくゆくは、真実の恋愛のできる人間になるということだと思います。あるパーティーに参加した娘さんが、つくづく言うのに、「ほんとうにこわいようなところです。女性の数が圧倒的に多いので、ダンスのパートナーを奪い合うありさまなのです。はじめて参加したものが、相手に申し込まれて踊ろうものなら、にらみつけられるし〃この次は私ですよ\"などと、踊っている最中に言われてしまう。洗面所に行けば、化粧直しをする先輩たちに鏡を占領され、いつまで待っても使えません」これではほんとうの交際にはなりません。血眼で男性さがしに来ているだけです。パーティーの主催者としては、こんな目的で始めたのではなく、主催者を囲んでなごやかにお茶を飲んだり、教養の講座を開いたり、またそれぞれの仕事について発表し合ったり、そういうつもりでスケジュールも組んであるのに、集まる人々の気持が上っ調子になっていることは、主催者としても悲しいといわれたとか。こんな血眼の状態では、真に異性を理解することなどおほっかないでしょう。異性を理解するには、まず、職場や学校、あるいは趣味やスポーツのグループなど、団体の中にいて、視野の広い交際を始めるべきです。そうして、こういうグールプには、ぜひ指導者がほしいものです。たとえば、日高パーティーの日高教授ご夫妻のように。外国では、ダンスの会などには、シャペロン(若い人たちばかり集まるときに監督する年長者)が必ずいるということですが、そのために若い人たちが、礼儀正しい規律ある健康な交際を育てていくことができます。日本でも、YWCAのダンスパーティーには、然るべき夫妻をシャペロンに依頼して、この方たちを中心にダンスを楽しんでいるそうです。そしてこの中から、特別に親しいカップルも生まれていくと聞きました。
家庭こそその場所
指導者のある交際の場の中で、家庭は最上の場所です。欧米では、家庭中心の交際が実によく行なわれています。交際といったら、ほとんどが家庭の交際だと考えてもよいくらいです。たとえば、ごく簡単な準備でダンスパーティーを開きます。両親が中心となり、子どもたちは男女の友人を誘います。ドイツで、岡田陽子さんも家庭のダンスパーティーにしばしば招かれたというので、「ダンスができなければだめね」と聞いたところ、「向こうの人たちは、音楽に合わせてただ体を動かしているだけなのよ。だからだれでも安心して参加-できるの。その代り、踊らずにいすにすわっていたりすると、\"さあ踊りなさい。すわっていちゃだめよ\"と手をとって踊らされてしまうのですよ」ということでした。日本で考えるような大げさな用意は何もいらず、家庭生活の中に欠くことのできない楽しみとしてあるのがダンスパーティーなのだそうです。こうして、家庭での催しがあり、また家庭の外で知り合った友人は、まず両親に紹介して、その承諾を得るのが、欧米の家庭のきまりのようなものです。日本ではどうかといえば、友人でも恋人でも、いちばんあとで両親に紹介するのが実情ではないでしょうか。詩人江間章子さんの知人の家庭にあった話は、ー夏休みの旅行の途上、その家のお嬢さんが、車中で大学生と知り合いになりました。帰ってからも交際したいというので、住所を互いに交換。やがて秋になってから、大学生は遊びに来ました。日曜日のことで、家じゅうが彼を歓待したのです。学生はスポーツの主将だといい、そう不愉快な青年でもありませんでしたが、その後、一枚の礼状もよこさず、音沙汰がなくなりました。家じゅうが喜んで彼を迎えたのですから、居心地の悪かったはずもありません。しかし、あまりに家族ぐるみの開放的な交際だったので、彼はいささかあてがはずれ、けむったくもあったのかも知れません。ほんとうにまじめな交際を求めるならば、もてなしにお礼も述べ、またたずねてくるのではないかーとその家庭では考えたそうです。交際の不健全さを恐れるあまり、交際を家庭から締め出したら、この反対の結果が生じたかも知れません。島津久子さん(家裁調停委員)の実家では、島津さんがまだ小さいころ(おそらく三〇年も前に)家族ぐるみの交際を盛んにしたということです。おとうさんは海軍の軍人さんでしたが、当時、京都の華族会の中心となって、月一回くらいずつ、各家庭回りもちの集まりを開くことを実行しました。今月は○○家の両親が、来月は○○家の両親が、というふうに、各家庭が責任者となり、全家族がいっしょに遊ぶ会を催したのだそうです。だから、お正月のカルタ会、三月のお花見、十月のたけ狩りと、おばあさんから赤ちゃんまで、大ぜいが参加してにぎやかな交歓をしました。ときには、若い人ばかりでハイキングをすることもありましたが、そんなときにも、責任者と帰宅の門限を設けていました。いろいろな男女が集まり、特に結婚などは考えない交際ですから、それだけに自由で、人間観察もじゅうぶんにできました。遊ぶばかりでなく、大阪地方の工場見学などにも一団となって行き、実によい催しだったと、今も島津さんは話題にします。島津さんは、「仕事をしているときには、その人のある一面しか見えないものですし、また、職場の衣を着ているので、職場ではじゅうぶんな人間観察はしにくいものです。どれだけたくさんの異性を見ても、それが男性の、また女性のすべてではないので、真の異性を知る機会にはなりにくいのです。また、かえって、いろいろ付随しているものにまどわされてしまう場合もないとはいえません。異性とのつき合いが、同性とのつき合いほどに、こだわりなく、のんびりとできる場がほしい。そのいちばんよい場所は、なんといっても家庭です」と、日本にも家庭ぐるみの交際の必要を強調しています。秋吉さんの家庭では、特別に、きょうは何の日、などということなく、\"久しぶりにお友達をお呼びしたら\"という気軽さで、バベキュー(野外料理)のつどいなどをするそうです。バベキューは、集まる人みんなで準備ができ、あと片づけもみんなでできる点が、若い人の集まりとしては、とてもよいというわけです。全部の費用をまかなわないまでも、わずかの会費を持ち寄りにすることもあります。庭があるという、恵まれた条件がものをいうのでしょうが、しかしアパート暮らしの家庭でも、考えれば交際の場にならないとはいえません。ところで、岩手県の農村に、母親と女教師の会が提唱して、子どもたちを各家庭に呼んで遊ばせている例があります。これは、休日に家庭を回りもちにし、おやつぐらいを用意して、おとうさん、おかあさんもいっしょになって遊ぶ、というやり方です。そして夕方になれば、女の子一人に男の子二人がつきそって、家へ送っていくというのです。東京でも、こんな例はなかなか見られません。対象は中学生におかれているようですが、もっと年上の子どもたち、また学校を終えた青年たちにも、ほしいことだと思います。日本でも、もっとたくさんの家庭が若い人たちのために開放されたら、どんなによいでしょうか。
一対一の交際
間宮武氏は、「グループの交際は、本来は男女交際といえない。リーダーがあって、その指導方針に従って行動をするのだから、これはグループ活動だ。ほんとうに異性を知るには、一対一の交際でなければだめだ」と言っています。グループの交際は交際の第一段階。ここで異性を理解するうち、一対一でさらに交際をしてみたいと思うようになるのが普通です。しかし、こうなっても、はじめは、ただ一人の異性だけに交際を限らず、なるべくいろいろな異性と交際したほうがいいのです。その交際のしかたが、大ぜい対大ぜいではなく、一対一であるように、ということなのです。こうすることによって、いろいろな異性を比較して見ることができ、しっかりした異性観も確定しやすいからです。よく、異性間の友情はなりたつか、という疑問が話題になりますが、恋愛にいたる前の男女の交際はたいせっです。恋愛は異性に対する個人的な理解と尊敬から生まれます。そのためには、交際を広くもち、理解を深める必要があるというわけです。日本では、最初の異性との交際が、そのまま恋愛になりがちです。大人の心配も、ここにあるようです。男女間の尊敬ということは、まず相手が人間的にすぐれており、異性としてもすぐれているところから出発します。最初の、またただ一つの交際を、絶対とするような異性との交際は、友情ある交際とはいえず、またそのように批判的な観察のない場合には、ほんとうのよい結婚の相手を見出すということもできないでしょう。
異性を知るということ
よく私たちは、相手に好意をもつ感情が起こると、異性を理解したと思い込んでしまうものです。反対にきらいになると「あの人を理解できない」などと言います。異性を理解するという心の働きは、知的な認識作用であるはずなのに、好ききらいの感情の働きと思い違いをすることがあります。異性を理解することは、そんなにやさしいことではないのです。また、異性は、ただ特定の相手とよく知り合うというだけでなく、人間として異性を知るということが必要なのです。親切でよく気のつく相手が、ほんとうのヒューマニストであるのかどうか、そこまで見きわめることが必要なのです。さて、こうして理解を深めるには、一定の距離をおいたほうがよいのです。一時的な感情にとらわれず、いつも相手の輪郭や特質をはっきりつかもうとする意識がなければだめです。次に広い視野が必要です。理解しやすくするためには、他人の目で見た資料と助言とを得ることが賢明でしょう。